giftを与えられなかった私たちは

先日、会社の先輩方と飲みながら雑談をした。その時に色々考えさせられる面白い話題が出たので、印象に残った話題を中心に少し書いてみたい。少し長い文章になります。


印象に残った話題その1は、英語のgiftという単語について。giftという一つの単語に、「天賦の才能」と「贈り物」という異なる意味を込めているところが面白い、という話だった。そこには人並み外れた才能に対する「ずるい」という凡人からの妬みが含まれているかのようだ。「それって与えられたものでしょ!」みたいな。

印象に残った話題その2は、社会と折り合いをつけることについて。自分がやりたいことと社会に求められることにはズレがあるのが普通で、大人として社会の中で生きていくためには、そのズレを(社会の側に歩み寄ることで)埋めていかなくてはならない、という話だった。

さて、異なる話題として別々に持ち上がったこれら二つの話題だけど、そこにある関連を見いだすことができる。

スタートをgiftに置いてみよう。そもそも才能とは何か?宮崎駿や羽生善治は「才能とは情熱を持続させる能力のこと」だと言う。この主張には大いに賛成だけど、この能力が即ちgiftと呼べるかというと、何か物足りない気がする。

ではなぜ腑に落ちないのか?問題となるのは、ある対象に並々ならぬ情熱を持っていたとしても、社会がそれに価値を見いだしてくれるとは限らない場合だ。

羽生善治は、情熱の対象が将棋であるために社会的に広く認められ、プロとして暮らしている。しかし、もしも情熱の対象が(極端な例だけど)ポケモンカードゲームであったなら、たとえ同じ量の情熱を傾けていたとしても、同じように社会から認められはしなかっただろう。

才能を「情熱を持続させる能力」としたとき、実に多くの人が才能を持っていることになる。でも、それに「社会が価値を認める」という条件を加えると、その人数は極端に少なくなる。そして社会の中で生きていく私たちにとっては、その方がより真実に近いように思えるのだ。

つまり、giftを持つ人とは、幸運にも自分のやりたいことと社会が求めていることがぴったりと一致した人で、社会と折り合いをつける必要が無かった人だと言えるのではないか。

以上が二つの話題の間に見いだした関連についてだが、ここで終わりにせず、もう少しだけ、話を展開させてみよう。

ある本にこんな趣旨のことが書かれていた。

魅力的な企画とは、「夢」と「現実」の緊張関係の中で生まれてくるものだ。ただ現実を受け入れるだけでも、ただ夢を見ているだけでもダメで、両者の狭間で絶妙にバランスがとれているものが魅力ある企画である。

企画に関して語ったこの文章だが、ここでの「企画」を「人生」に置き換えてみると、少し面白い考え方ができる。

これまで述べてきたように、多くの人は自分のやりたい「夢」と社会の求める「現実」の狭間で苦悩することを余儀なくされる。でも、言葉を置き換えたさきほどの引用を参考にするならば、だからこそ面白味があるし、また狭間で絶妙なバランスが取れたときにはとても魅力的な人生になる、と考えることができる。giftを持つ人は魅力的だけど、その人生にそこまで魅力を感じないのは、そうした苦悩が希薄だから、と考えることもできる。

だから、苦悩しながらも魅力的な人生が送れるといいな、なんて思う、今日この頃なのでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*